1972年の日本復帰以降、米軍基地が押し付けられたままの沖縄。その沖縄を嘲り、差別し、冷たく突き放す「本土」があるとジャーナリストの安田浩一氏は指摘する。辺野古の米軍新基地建設に反対する「座り込み」に対して、少なくない者が「運動」そのものを嘲笑した。
(略)
これを揶揄する者がいる。抵抗する姿が滑稽だと笑う者がいる。基地反対など無駄だと突き放す者がいる。必死になってこぶしを振り上げる姿を茶化す者がいる。
その典型と言えるのが、ネット掲示板「2ちゃんねる」(当時)の創始者で、テレビのコメンテーターとしても活躍する「ひろゆき」こと西村博之氏であろう。
“騒動”の端緒となったのは2022年10月3日、ひろゆき氏がツイッターに投稿したツイートだった。辺野古の抗議現場(キャンプ・シュワブのゲート前)を訪ねたひろゆき氏は、座り込み参加者の姿がどこにも見えなかったことから、〈座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?〉とツイートをした。〈新基地断念まで座り込み抗議 不屈 3011日〉と書かれた看板の前でピースサインと笑顔で収まった写真をつけた投稿だった。
これが波紋を呼んだ。そもそも、ひろゆき氏が辺野古を訪ねたのは夕方、すでに抗議行動に参加する人たちが現場を去った後である。「誰もいない」のは当然だ。前述した通り、抗議の目的はトラックの進入を拒み、工事の進捗を遅らせることにある。工事を終えた時間帯に座り込んでも仕方ない。そんな必要はない。
だが、実際は座り込みなんてほとんどしてないじゃないか、その程度の抗議行動かと思わせるひろゆき氏のツイートには、多くの“お客”がついた。つまり人気者のひろゆき氏に賛同するコメントがひっきりなしに書き込まれたのである。
「基地建設反対運動のうさん臭さが浮き彫りとなった」「しょせんが左翼老人のお遊び」「偏向したメディアが持ち上げているだけ」――。このように抗議運動を馬鹿にしたものから、「しょせんは外国勢力によって動かされているだけ」といったおなじみのデマもネット上では飛び交った。お調子者たちが勢いづいた。
沖縄は、またもや「笑い」の対象となった。そして貶められた。
辺野古の抗議現場で私が耳にしたのは、そうした嘲りの風潮に対するやるせなさだった。
「反論されるよりも笑われるほうがつらい。尊厳すらも打ち砕かれる」
座り込みに参加する70代の女性はそう漏らして表情を曇らせた。
人を見下したかのような笑いに抵抗するのは難しい。真剣に怒れば怒るほどに茶化しの対象となってしまう。まさに「ネタにマジレス」。さらなる笑いを誘うことにもなる。
そればかりか、いまや辺野古の抗議現場は、笑いを得るための「名所」となりつつある。
「ひろゆき氏に影響されたのか、茶化すためだけに辺野古に足を運ぶ人も見かけるようになった」
そう話すのは、座り込みに参加している50代の男性だった。
「観光で沖縄を訪ねた人だと思います。座り込みを示す看板の前に立ってVサインで記念撮影するだけなんですけどね。なにか馬鹿にされているような気がして嫌な気持ちになります」
座り込みに参加している人々に共通するのは、これ以上沖縄に基地をつくらないでほしいという思いだ。その思いを、基地を押し付けている側の「本土」の人間が、どうして笑うことができるのか。座り込みが示す問いかけに応じることもなく、人々の怒りを「ネタ」として消費するだけの人間は、自らの加害性にとことん無自覚だ。
半笑いで座り込みを蔑んだひろゆき氏に続けとばかり、こうした物見遊山で辺野古を訪ねる者たちが後を絶たない。
笑われてんのは、パ…。
座り込みとか言う分けの分からんことをやってる左翼を嘲ってんや
主語を大きくすんなや
都合の良いときだけやって何が24時間デモだよ